「この世界の片隅に」は、なぜ心を温めるのか
先月、「Yahoo!プレミアム」会員限定で、映画「この世界の片隅に」が無料で視聴できたので、何回か視聴した。
映画館で既に観ていたのだが、更に繰り返し観たことで、原作(漫画)とのいくつかの違いも理解できた。
傑作とは言い切れないが、かなり良質な作品であると改めて思った。
この映画は、第90回「キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画第1位、第40回「日本アカデミー賞」の最優秀アニメーション作品賞に選ばれている。
そのように評価されるのが納得できる内容だ。
今は映画版を視聴できないので、正確を期するため、以下は、主に原作について述べることにする。
戦前から終戦直後にかけて、主人公・北條すず(旧姓は浦野)と周囲の人々との日常生活を描いている。
すずの兄・要一は、幼い妹たちに厳しい態度であったため「鬼いちゃん」とも呼ばれていたが、戦死した後、時空を超えて、すずの前に現れる。その姿は、すずの幼少期の不確かな記憶の中では、毛むくじゃらの怪物(ばけもん)になっている。
自分の代わりに妹を守ってくれる人(すずの夫・周作)と妹を引き合わせ、二人が夫婦になってからも、そっと見守っている。
すずの幼少期の不確かな記憶の中では、怪物によってすずと引き合わされた周作は、眠り込んだ怪物の手に(食料が必要だろうと)キャラメルを握らせる。
幼少期のすずは、屋根裏から現れた見知らぬ女の子(座敷童にも見えたが、後にすずと親しくなる白木リン)がスイカを欲しがっていることを知り、スイカを与えようとする。
嫁入りしたすずは、慣れない環境でも誠実に、懸命に日々の家事をこなす。
周作は、妻に「すずさん」と敬称を付けて呼ぶ。「お前」と呼ぶような、乱暴な扱いはしない。
周作の両親も、すずに誠実な態度で接する。
周作の姉・径子は、すずにきつい態度をとっていたが、最後には右手を失ったすずを支え、すずの選択を尊重する。
すずは、原爆もしくは空襲などで消息を絶った家族もしくは友人を案じ、自分が苦しい状況でも、探そうと努力する。
すずは、可愛がっていた義理の姪の死に、深く悲しむ。
すず、周作夫婦は、原爆で親を亡くした見知らぬ女の子に当然のように食べ物を与え、しがみつかれたら見捨てず、養子として引き取る。
心温まる日常が戦争によって無残に破壊され、打ちのめされても、すずたちは心温まる日常を再建する。
この作品は、愛情、善意、誠意、思いやりおよび優しさに満たされているのだ。
精神科医・斎藤環氏が、「治療効果がある」と絶賛する理由は、ここにあるのだろう。
ことさらに戦争の悲惨さを強調してはいないが、戦争で失われるものの貴重さを丁寧に描くことによって、結果的に反戦の意識を強く持たせる効果もあると思う。
インターネットなどでの高評価によって、上映する映画館は次第に増えていった。
私も、多くの人に観ることを勧めたい。