グリーンライン雑記帳

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「青葉・緑市民連合」の終焉

今月上旬、市民団体「青葉・緑市民連合かながわ8」の運営委員(役員)を退任した。
青葉・緑市民連合は、「衆議院議員選挙神奈川県第8区」(大部分は横浜市青葉区および緑区)において、「立憲野党」の共闘を促進させることを主目的としている。

少なくとも1年間の任期を全うすべきと考えていたが、2か月余り残しての退任となった。
賛同者(会員)としては残っている形だが、青葉・緑市民連合の集会には、もう参加することはないだろう。

安倍政権打倒を目指す勢力を拡大するためには、看板だけでも新しくしなければならないと考えていた。
中身は古臭くても、徐々に新しくするつもりだった。

でも、無理だった。
活動の大部分は、「ほとんど効果のなかった手法の繰り返し」もしくは「その焼き直し」だった。

運営委員(当初15名)の多くが高齢者であったため、そうなることは、ほぼ予想通りだったが。
中年である私は、しばしば高齢者たちに合わせることを余儀なくされた。

高齢者と言っても、暇を持て余す人は全くいなかったかもしれない。
手弁当で奮闘する姿には、頭が下がる思いだ。

だが、「高齢者が主導する活動は大きく発展するのが難しい」と改めて痛感させられた。
新しい発想がなければ、新しい仲間を増やすことはできないのだ。

昨年の総選挙での「野党統一候補」擁立が実現しなかったことなどで、団体の設立から半年しか経っていないのに、過半数の運営委員が退任した。
その3か月後に私が退任し、献身的に働いている事務局長(運営委員)も6月末で退任する。

これで「空中分解」はほぼ確定だろう。
残っている運営委員は、「敗戦処理」を進めるしかなくなるのではないか。

以前に私が関わっていた類似の目的の団体とは、性質が大きく異なると思っていた。
市民連合」の看板に、私はとても期待していた。

しかし、私の意見を無視して自己満足的活動を始めるのでは、もはや継続は困難だ。
社会貢献になると思えなければ、離れるのが自然なことだ。

市民運動の成否は、集まった人の質で決定される。
私には、青葉・緑市民連合の未来が明るいとはとても思えなかった。

高齢者」「中年」「若者」の3世代で、別々の市民団体が必要かもしれない。
世代で分けなければ、高齢者の意見が優先されることが多くなってしまうからだ。

しかし、高齢者以外で積極的に活動する人は、ほとんどいないのが実情だろう。
「安倍一強」が続いてきた原因は、このようなことにもあると思う。