グリーンライン雑記帳

Twitterでは収まらない長文を投稿するブログ。

私が統一教会に注目する理由

私が初めて統一教会の存在を知ったのは、約35年前、高校生の頃だった。

共産主義者である高校の先生から、悪質な教団であること、教祖の氏名等を聞かされた。

その後、統一教会の偽装勧誘に騙され、統一教会とは知らずにビデオセンターに連れて行かれたが、入信しなかった要因のひとつは、予備知識があったことだと思う。

また、当時の知人に、統一教会信者(20歳代後半)がいた。彼は、それを隠していたが、彼の発言から、信者であることに私が気付いた。

宗教の歴史に鑑みれば、信者には、「搾取される側から搾取する側に回ろう」と自らが新たな教祖になろうとする者が、しばしば現れるようだ。

知人の男も、そのような人物だった。彼から脅迫されたことは、大変な経験だった。

統一教会について調べるため、当時の私が図書館で借りた本は2冊。

その内容は、今となっては「統一教会問題の基礎知識」としか覚えていないが、著者の名前は、忘れたことがない。

元大学教授の浅見定雄さん、ジャーナリストの有田芳生さんだ。

桜田淳子氏が参加した統一教会合同結婚式が開催されたのは、私が大学生の頃だったが、テレビで初めて有田さんを見た私は、すぐに「あの本の著者だ」と気付いた。

30歳間近になって、有田さん主催の「オフ会」に出席した日が、有田さんとの初対面だった。

その数年後、有田さんが選挙に立候補し、私は支援に加わることになった。

今でも、私は統一教会に注目しているし、有田さんとの交流も途絶えていない。

ジャニーズ事務所の問題と同様、マスメディアが見て見ぬふりをしていた統一教会の問題が、大きく報じられる現状には、不思議な気もする。

被害者が救済されるかは不透明だが、何が起ころうとも、統一教会への私の関心が失われることはない。

 

 

 

小俣一平(坂上遼)氏について

一昨日、作家の辺見庸氏のtwitterでの投稿に返信したら、ブロックされた。

https://twitter.com/green_line_hama/status/1555867217283010561
https://twitter.com/green_line_hama/status/1555885224545751041

これらの内容の、どこが気に入らなかったのだろう。
この程度で相手を排除するのなら、狭量だと言われても仕方ない。

70歳代後半の辺見氏だから、操作を誤ったのかもしれない。
辺見氏の投稿を読む必要はないので、重要な問題ではないが、残念に思う。

私の返信に記載した「元大学教授、元NHK有名記者」とは、小俣一平氏のことだ。「坂上遼」のペンネームを用いることもある。
「有名記者」と言っても、報道関係者の間でのことで、それ以外の人には、ほとんど知られていないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BF%A3%E4%B8%80%E5%B9%B3

小俣氏とは、13年前、小俣氏の著書の出版記念イベントが初対面だった。私とは20年以上の付き合いの有田芳生さんも参加するので、そのような会に初めて出席した。

その時の小俣氏の印象は、良くも悪くもなかったが、有田さんに対する敬意に近い感情があった。ジャーナリストという職種を特別視していたからだ。

しかし、その約3年後、私の小俣氏へのイメージは大きく変化した。
有田さん後援会の忘年会で、私の席は、偶然、小俣氏の斜向かいになった。

近況を訊かれた私は、非正規の仕事であることを伝えたところ、小俣氏は、私の怠惰が原因で低収入の仕事に満足していると決め付けた。

愚の骨頂だったのは、私の「心理の国家資格は存在しない」との発言を、小俣氏が「心理の資格も持っていないのに、そのような仕事をしているのはけしからん」と勝手に誤解して非難したことだ。当時から、私は、福祉の国家資格、心理の民間資格を持っていたのだが。なお、現在は、心理の国家資格である「公認心理師」が存在する。

複数の人の前で、私は「駄目人間」と繰り返し非難された。あまりにも執拗なので、仕方なく、私はその仕事を選んだ事情を説明した。親しくない人には話したくない真実だった。

そこで、やっと小俣氏は自分の間違い(の一部)に気付いた。

私に「悪かったね」と言ったが、その直前に、私が助けたい人物のことまで侮辱する発言をした。

有田さんの忘年会(新年会)には、参加費を支払って、何度も参加しているが、最も不味い酒を飲まされることになった。

ジャーナリストにも、このような単細胞がいたのか。何が大学教授だ!
そのような怒りは、今も消えていない。

有田さんは「調査なくして発言権なし」としばしば述べているが、小俣氏は私に関して何も調べずに、勝手に知っているつもりになって発言した。しかも、その発言内容は、私への侮辱だった。

しかし、3年前の参議院選挙に小俣氏が立候補したとき、私は小俣氏の決起集会に参加した。それは、有田さんに会うことが主目的だった。

小俣氏の選挙用文書を配り、小俣氏に投票したことなどをtwitterで投稿したこともあったが、有田さんが支援していたから、そうしたに過ぎない。小俣氏を賞賛する内容は、一度も投稿していない。「小俣氏は素晴らしい」とは全く思わないからだ。

その小俣氏の挑戦の結果は、予想通り惨敗だった。

ここまで、小俣氏を批判してきたが、小俣氏は(一面では)情に厚い人でもあると思う。

業界での高い評価は、特に間違ってはいないのだろう。
でも、小俣氏の著書は、全く読む気になれない。タダでも読まない。他に読むべき本は、いくらでもあるのだし。

先月の参議院選挙の公示日に、有田さんの選挙事務所で3年振りに小俣氏と話したが、相変わらずの単細胞発言があり、やはり変わっていないのだなと思った。その選挙で有田さんが落選したので、小俣氏との出来事を公表しても良いだろうと判断した。

小俣氏は、私にとって大切な人ではなく、尊敬する人でもない。3年前の選挙で小俣氏を支援したが、私の本心を明かしておきたいと思った。

もっとも、著名人ではない小俣氏について述べたところで、読む人はほとんどいないだろうが。

 

 

2022年9月3日追記

Twitterでの小俣一平氏に関する投稿

twilog.org

「青葉・緑市民連合」の終焉(3)

前回「青葉・緑市民連合」に関する記事を投稿したのが、ちょうど7か月前。
当時の予測に反して、同団体は、今も活動を続けている。

辞意を表明していた事務局長が、それを撤回し、現在は代表を務めている。
退任すれば、同団体の活動継続が困難になる状況に陥ったため、仕方なく判断を変更したのだろう。

私は、4月に同団体の役員を退任し、10月に同団体から退会した。
今でも、同団体の方向性は正しいと思う。
だが、私が「方向性は正しい」と思える活動を行なう団体は、いくらでもある。
「方向性は正しい」と思えるだけでは、私は参画することができない。

今後、高齢者が主体の市民団体に私が加わることは、恐らくないだろう。
自分が高齢者になるまでは。
大部分の高齢者は、古い手法、古い発想から逃れられないことを痛感させられたからだ。
努力しても徒労に終わるのなら、到底関わる気になれない。

もっとも、高齢者にとって「青葉・緑市民連合」は親しみやすい団体だろうと思う。
時間などに余裕があり、同団体の活動が楽しいと思えれば、参画しても良いだろう。

長谷川博一氏に関する週刊新潮の記事を読んだ

週刊新潮 2018年10月4日号」(同年9月27日発売)に、「「宮崎勤」「宅間守」を分析した臨床心理学の権威に裏の顔! 被害女性が告発! 「私が施されたセックス・カウンセリング」」と題した記事が掲載された。
その記事は、新潮社のWebサイトで公開されている。https://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20180927/
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/10080801/?all=1
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/10090801/?all=1

 

カウンセラー・長谷川博一氏(元東海学院大学大学院教授)を、二人の女性が告発するという内容だった。
長谷川氏は、テレビ出演などによって著名なカウンセラーである。
カウンセラーなどの資格を持っている私は、数年前から長谷川氏のTwitter投稿を読み続けている。
そのため、週刊新潮の記事を重大な関心を持って読んだ。

 

記事は、長谷川氏のカウンセリングを受けていたという二人の女性の「証言」が中心なのだが、その内容が事実である証拠は記載されていない。二人の「証言」が事実ではない可能性は、いくらでも考えられる。
精神医学などを学んできた私は、人が様々な原因で「事実ではないことを事実と主張することがあること」を知っている。
現時点では、あの記事は深刻な人権侵害だと言わざるを得ない。
「日本で無罪推定の原則が有名無実化していること」が、あのような記事が掲載されてしまう要因だと思う。
https://www.bengo4.com/c_3/b_163665/

 

しかし、記事の内容を事実と断定した人々から、長谷川氏は非難され、関わりを断たれている。
一方の「証言」だけで誰かを処罰するのなら、裁判は要らないことになってしまう。それは、とんでもないことだ。
「正義」は、しばしば暴走する。正しいと思ってやっていたことが、後で間違っていたと気付いたとき、その人はどうするのだろうか。

 

長谷川氏を非難する人の一部は、「#MeToo」運動の影響を受けているのだろう。
「#MeToo」運動のように、多数の証言者が現れれば、その証言にはある程度の信憑性があると考えられる。
しかし、週刊新潮の記事では、長谷川氏に関する「証言」を述べた人は、わずか2名。現時点では、「#MeToo」運動とは相当異なる現象なのだ。

 

自助グループ「Thrive」のWebページには、長谷川氏と連携していたが、週刊新潮の記事を受けて、「彼女達がこれだけリスクがあるなか虚偽を言うメリットはありません。カウンセラーがクライアントと性的関係を持つ事は重大な倫理違反であり、あってはならないと思い連携解除致しました」との一文が掲載されている。
https://thrive-project.jimdo.com/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

 

実際には、メリットがなくても虚偽の内容を語る人はいるのだ。
素人で、無知だから、思い込んでしまうのも仕方ないとも思う。
だが、善意で暴走する人々は、私にはオウム真理教の信者のようにも見えてしまう。
https://dot.asahi.com/wa/2018101000027.html?page=1

 

最近、「新潮45」が差別記事を掲載したことで休刊になったが、週刊新潮も「売れるなら何でもあり」の雑誌だと思う。
あのような記事を掲載した週刊新潮も、休刊すべきではないだろうか。

「青葉・緑市民連合」の終焉(2)

市民団体「青葉・緑市民連合かながわ8」が、今月下旬に「賛同者集会」(総会)を開催するとの通知があった。
当初15名の運営委員(役員)が現在5名にまで減ったので、新たな運営委員を募るのだろう。

だが、運営委員に加わりたい人が、どれほどいるだろうか。
設立後1年も経たずに運営委員が3分の1になったことで、「現在の運営委員は、かなり問題がある人々なのでは」と考える人もいるだろう。

退任した運営委員の一人である私は、負担が重くても、嫌な思いをさせられても、社会貢献になるのなら頑張るつもりだった。
しかし、「ほとんど社会貢献にならない」と確信したことで、「これ以上は続けられない」と判断した。

現在の運営委員である事務局長も、来月退任する。
以前は「運営委員を20名以上にまで増やしたい」と言っていたが、結果は正反対で、ゼロに近付いている。

退任する人が、賛同者(会員)に運営委員への就任を呼び掛けるのだろうか。
それでは、説得力がないだろう。

団体を維持するためには、まず「現在の仲間」を大切にすること。
それを欠いていたから、私は離れた。

「まとめ役」として気を遣ってきた事務局長が、その反動で、退任を決断してから相当攻撃的になったのは、仕方ないかもしれない。
「青葉・緑市民連合かながわ8」の創設者とも言える事務局長の退任によって、同団体は終焉を迎えるのだろう。

「青葉・緑市民連合」の終焉

今月上旬、市民団体「青葉・緑市民連合かながわ8」の運営委員(役員)を退任した。
青葉・緑市民連合は、「衆議院議員選挙神奈川県第8区」(大部分は横浜市青葉区および緑区)において、「立憲野党」の共闘を促進させることを主目的としている。

少なくとも1年間の任期を全うすべきと考えていたが、2か月余り残しての退任となった。
賛同者(会員)としては残っている形だが、青葉・緑市民連合の集会には、もう参加することはないだろう。

安倍政権打倒を目指す勢力を拡大するためには、看板だけでも新しくしなければならないと考えていた。
中身は古臭くても、徐々に新しくするつもりだった。

でも、無理だった。
活動の大部分は、「ほとんど効果のなかった手法の繰り返し」もしくは「その焼き直し」だった。

運営委員(当初15名)の多くが高齢者であったため、そうなることは、ほぼ予想通りだったが。
中年である私は、しばしば高齢者たちに合わせることを余儀なくされた。

高齢者と言っても、暇を持て余す人は全くいなかったかもしれない。
手弁当で奮闘する姿には、頭が下がる思いだ。

だが、「高齢者が主導する活動は大きく発展するのが難しい」と改めて痛感させられた。
新しい発想がなければ、新しい仲間を増やすことはできないのだ。

昨年の総選挙での「野党統一候補」擁立が実現しなかったことなどで、団体の設立から半年しか経っていないのに、過半数の運営委員が退任した。
その3か月後に私が退任し、献身的に働いている事務局長(運営委員)も6月末で退任する。

これで「空中分解」はほぼ確定だろう。
残っている運営委員は、「敗戦処理」を進めるしかなくなるのではないか。

以前に私が関わっていた類似の目的の団体とは、性質が大きく異なると思っていた。
市民連合」の看板に、私はとても期待していた。

しかし、私の意見を無視して自己満足的活動を始めるのでは、もはや継続は困難だ。
社会貢献になると思えなければ、離れるのが自然なことだ。

市民運動の成否は、集まった人の質で決定される。
私には、青葉・緑市民連合の未来が明るいとはとても思えなかった。

高齢者」「中年」「若者」の3世代で、別々の市民団体が必要かもしれない。
世代で分けなければ、高齢者の意見が優先されることが多くなってしまうからだ。

しかし、高齢者以外で積極的に活動する人は、ほとんどいないのが実情だろう。
「安倍一強」が続いてきた原因は、このようなことにもあると思う。

「この世界の片隅に」は、なぜ心を温めるのか

先月、「Yahoo!プレミアム」会員限定で、映画「この世界の片隅に」が無料で視聴できたので、何回か視聴した。
映画館で既に観ていたのだが、更に繰り返し観たことで、原作(漫画)とのいくつかの違いも理解できた。
傑作とは言い切れないが、かなり良質な作品であると改めて思った。

この映画は、第90回「キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画第1位、第40回「日本アカデミー賞」の最優秀アニメーション作品賞に選ばれている。
そのように評価されるのが納得できる内容だ。

今は映画版を視聴できないので、正確を期するため、以下は、主に原作について述べることにする。

戦前から終戦直後にかけて、主人公・北條すず(旧姓は浦野)と周囲の人々との日常生活を描いている。

すずの兄・要一は、幼い妹たちに厳しい態度であったため「鬼いちゃん」とも呼ばれていたが、戦死した後、時空を超えて、すずの前に現れる。その姿は、すずの幼少期の不確かな記憶の中では、毛むくじゃらの怪物(ばけもん)になっている。
自分の代わりに妹を守ってくれる人(すずの夫・周作)と妹を引き合わせ、二人が夫婦になってからも、そっと見守っている。

すずの幼少期の不確かな記憶の中では、怪物によってすずと引き合わされた周作は、眠り込んだ怪物の手に(食料が必要だろうと)キャラメルを握らせる。

幼少期のすずは、屋根裏から現れた見知らぬ女の子(座敷童にも見えたが、後にすずと親しくなる白木リン)がスイカを欲しがっていることを知り、スイカを与えようとする。

嫁入りしたすずは、慣れない環境でも誠実に、懸命に日々の家事をこなす。

周作は、妻に「すずさん」と敬称を付けて呼ぶ。「お前」と呼ぶような、乱暴な扱いはしない。

周作の両親も、すずに誠実な態度で接する。

周作の姉・径子は、すずにきつい態度をとっていたが、最後には右手を失ったすずを支え、すずの選択を尊重する。

すずは、原爆もしくは空襲などで消息を絶った家族もしくは友人を案じ、自分が苦しい状況でも、探そうと努力する。

すずは、可愛がっていた義理の姪の死に、深く悲しむ。

すず、周作夫婦は、原爆で親を亡くした見知らぬ女の子に当然のように食べ物を与え、しがみつかれたら見捨てず、養子として引き取る。

心温まる日常が戦争によって無残に破壊され、打ちのめされても、すずたちは心温まる日常を再建する。

この作品は、愛情、善意、誠意、思いやりおよび優しさに満たされているのだ。
精神科医斎藤環氏が、「治療効果がある」と絶賛する理由は、ここにあるのだろう。

ことさらに戦争の悲惨さを強調してはいないが、戦争で失われるものの貴重さを丁寧に描くことによって、結果的に反戦の意識を強く持たせる効果もあると思う。

インターネットなどでの高評価によって、上映する映画館は次第に増えていった。
私も、多くの人に観ることを勧めたい。

「正しいことを言う」だけでなく、工夫が必要!

私は「支持政党なし」だが、共産党および社民党の主張の大部分は正しいものだと思う。
でも、正しいことを言っているだけでは選挙で勝てない。

「支持政党なし」の人のほとんどは、政治家もしくは政党の、パターン化された、使い古された表現に魅力を感じないから、どの政党も支持しないのであろう。
ある方法でうまくいかなければ、別の方法に変える。それでもうまくいかなければ、更に別の方法に変える。そのような工夫を行なうのは、当然のことだ。
それにもかかわらず、共産党および社民党は、パターン化された、使い古された表現をほとんど改めようとしない。
これでは、選挙で負けるべくして負ける。

左翼的な市民団体の主張も、パターン化された、使い古された表現ばかりである。
当然のことながら、その運動は全く広がらない。

「正しいことを言っている自分たちが変わる必要はない。変わらなければならないのは、世の中だ」と考えるのであれば、今後も、失敗および敗北を繰り返すだろう。

カビの生えた表現で「憲法を守れ」「戦争反対」と主張することは、大部分の人にとって魅力がない。
そのような「正しい主張」が魅力を失うことで、「時代の変化に対応して憲法を変えなければならない」「国際情勢の変化に対応して憲法解釈を変えなければならない」との主張が魅力的に見えてしまう。
憲法を守れ」「戦争反対」と言い続けることが、むしろ憲法改悪および戦争のリスクを結果的に高めてしまうのだ。
これが、安倍政権が選挙で勝ち続けてしまう日本の現状だと思う。

どれほど高級なパンであっても、汚い箱に入っていては、選んでもらえない。
中身はそのままでも、美しい箱に入れなければならない。
そして、パンの一部にカビが生えている場合もある。そのときは、パン自体を新しいものに替える勇気も必要だ。

私が運営委員を務めている市民団体「青葉・緑市民連合」は、民進党共産党自由党および社民党共闘を支援する方針だが、その4党は、このままではそう遠くない将来全滅するだろう。
民進党および自由党の状況は、共産党および社民党とはかなり異なるが。
民進党は、「民主党政権の失敗」のレッテルをはがせないだけでなく、目指す社会像が曖昧なまま。
自由党は、代表の小沢一郎氏へのマスメディアなどによる袋叩きの「後遺症」を克服できないまま。

危機感を共有し、思い切った対策を講じなければ、4党に未来はない。
そして、私自身の未来も、悲惨なものになってしまうと思う。

批判だけでなく、経済政策を!

近年の日本の政治情勢は、自分の政策に名前を付けた者が選挙で勝つ傾向が続いている。「アベノミクス」「都民ファースト」「大阪都構想」など。名前を付けさえすれば、その政策の有効性が検証されず、そもそも中身があるのかすら確認されず、多くの有権者が「中身があり、有効な政策だ」と信じ込んでしまうのは、大変危険なことだと思う。
世論調査では原発再稼働反対が多数派なのに原発再稼働賛成の自民党が国政選挙で勝ち続けている理由のひとつは、原発再稼働反対なのに選挙では原発再稼働賛成の自民党に投票する人が少なくないからだろう。
原発再稼働に反対するのに選挙では原発再稼働に賛成する政党に投票する人の多くは、原発再稼働反対より経済政策を優先しているのではないか。
そのような人たちには、アベノミクスの恐ろしさを伝えないといけない。私が最も懸念することは、年金積立金で膨大な株を購入し、株価を操作していることだ。これでは、購入した株を売ることもできず、莫大な含み損を抱えることになりかねない。他にも、当面の内閣支持率の維持しか考えない、近視眼的な経済政策に、経済の専門家たちから、この国の将来を危ぶむ声が上がっている。
「立憲4党」とも呼ばれる野党勢力民進党共産党自由党および社民党)が政権交代を実現するためには、安倍政権への批判だけでなく、有効な経済政策を提唱し、それを効果的に宣伝しなければならないはずだ。
経済政策に「99%ノミクス」と命名するのは、どうだろう。「アベノミクスは1%ノミクス。1%の富裕層しか利益を得られない。でも、私たちは99%ノミクスで、99%の国民の暮らしを良くします」と主張すれば、多くの有権者の心に響くだろう。
命名の重要性を理解している「立憲4党」の国会議員もいる。だが、総選挙直前に打ち出しても遅い。「立憲4党」が早めにまとめる必要があると私は考えている。